現在、アラフォー、結婚したい独身女性
都内の短大卒業後、大企業に入社して、20代後半で結婚して寿退社を夢に異性関係に奔走するも惨敗。その後、10年惰性で勤めた会社を退職し、遅まきの自分探しや心の問題に取り組み、39歳に!!
◯◯◯してきた私の生い立ち
子どもの頃の私は、性格に2面性を持っていました。気心の知れた友達との間では騒がしいのですが、自分と離れた存在や皆の前では非常に大人しい、借りてきた猫みたいな感じでした。
小学校時代
子供の立場から見て、私の両親は、自分の子供達にとても無関心な人達でした。特に父は、感情のない能面の様な得体の知れない存在に思え、精神的に半ネグレクトのような日々でした。
暴言や暴行を加えられた訳ではないので、表面的には、やさしいご両親と幸せな子供達、という仮面を外に対して維持していました。
その為、私は親に大切にされなかったという気持ちがとても強く、自己評価(自尊心)が非常に危うく、自信が持てず、傷つきたくないが為に心に壁を作る、大人しい子供でした。
でも、一回心を開いてしまえば、通信簿には毎年「授業中のおしゃべりを慎みましょう」と書かれる程に、友達とのおしゃべりに夢中になりました。
自己評価が危うい分、自分を認めてくれる友達の存在がとても嬉しかったんだと思います。
そんな友達のおかげで、家庭生活では孤独だったけれど、学校では友達関係に恵まれ楽しい時間を送る事が出来ました。
又、内省的な子供で、部屋で一人で考え事をしたり、読書(漫画を含む)が好きな子供でした。
この頃身につけた考える力が自分の人生の生きる力でもあり、その後の人生の紆余曲折の原因にもなったようでした。
中学校時代
中学では、クラス・部活・塾・習い事で、家ではタダ寝るだけのハードな日々を過ごしました。
授業中はおしゃべりに勤しみ授業を妨害? 休み時間には大人しく漫画を読んで過ごしました。
クラスでは3枚目を演じて、後で思い出すとかなり恥ずかしいほどバカキャラを確立していましたが、キット根本的な原因には、自己評価が低い為に周囲の注目を浴びたかったからというのもあったと思います。
そのキャラクター性から、クラスではバカ&うるさいという評価を得ていたようでした。
高校時代
高校では、中学でのバカキャラに飽きたのか、表面上だけでも大人になろうと、一転して真面目キャラに転じ、大人しい高校生時代を送りました。
といっても、学校に通いながら一貫して勉強する意味や、答えをただ暗記する意味が良くわからず、学校のやり方に疑問を感じ、衝突、成績は低迷。
授業中は義務教育じゃないんだから好き勝手やっていいんだと思って、しかし、流石に中学の様に授業中騒ぐのはまずいと思い、授業中は静かに黙々と漫画に夢中の毎日を過ごしました。
短大時代
東京で良い会社に就職しようと、都内の老舗系の短大に入学。
学校の授業には全く興味がないので、最低限の出席で済ませ、惰性の2年間を過ごしました。
又、今迄は余り悩んだ事がない、友人関係の悩みが発生。両親との関係から、広く浅くの人間関係が築けなかったのだと思います。
小学校~短大で一番詰まらない不毛な時間を過ごしました。私の人生の中で最も要らない消しゴムで消し去りたい時間でした。
又この頃~28歳位まで自傷行為をやっていました。恐らく、父親に心理的に傷つけられた様に、物理的に自分を傷つける事で自分の存在を再確認しようとする行為だったように思います。
自傷行為は、年齢とともにエスカレート、坐禅と出会い心の安定を得る事で、自傷行為から自然と抜け出ることが出来ました。
会社員時代
20代前半
20才で都内の短大を卒業後、旧3大財閥系を母体とした、製造業に流れ着きました。
私にとって、既存の大企業という世界は、徹底した上位下達式の軍隊の様なモノであり、新人とはその組織ピラミッドの最下位に位置するものでした。
そんな世界で求められる能力は、常に上から明確な答えが与えられ、それを正確に処理する受動的ルーチンワークだったのです。
しかし、その尺度を是とするならば、私は完全な落ちこぼれだったのです!!
その上その会社は、世間の働くイメージをの常識を覆えす、そもそも仕事が全くない実労時間1時以内の、異常にぬる〜い職場でタダひたすら時間を浪費するような、日々を過ごす事になったのです。
20代後半
新しい部署に異動しましたが、実労1時間以内の絶望の日々を送っていました。
受動的ルーチンワークは苦手でしたが、彼らが苦手とする事、違ったモノの見方や切り口、改善を提供する事で、周囲に貢献しました。上から与えられた答えが絶対的に正しいという彼らに対してカルチャーショックや打撃を与え続けました(笑)。
しかし、既存の大企業では自分の適性はハッキリ言って必要ではなかったのです。私のような適正が必要な企業は、成長期にあるベンチャー企業か、中小零細だったのです。
その為、20代後半で寿退社をする事か、もしくは30歳頃まで会社で遊んで過ごし、お金を貯めて、いつか独立したいと、全く無計画な野心を燃やすのでした。
しかし20代後半で寿退社する夢は、納得できる出会いがなく恋愛市場から撤退。
30才の時に、このままただ惰性に会社に行き続ける事に心の限界を感じ、退職、遅まきの自分探しを始める事にしました。
30代前半
会社を辞めて、ハロワで受けたキャリアカウンセリングをきっかけに心の問題を指摘。その後カウンセリングを受け、PTSDの一歩手前まで行っていると言われ大ピンチ!! 涙のカウンセリングと復活!!
しかしそんな喜びもつかぬ間。他の人が同じ経験したらそれ程問題にはならなかったのではないか? もしかして自分が人生で転びやすいのは、心理的なベースが危ういからではないかと思い始めました。
その後ACという概念(親子関係からくる心のトラウマ)からカウンセリングや自助Gを渡り歩き、両親から愛されなかったトラウマをクリアしていくという、深い悲しみのトンネルを潜り抜けもう心ボロボロになりました・・・
30代後半
心の問題と同時進行で、遅まきの自分探しを始め、再出発を図ろうと再起を図るのでした。
父親の問題によって、子供時代慢性的に傷を負い深いトラウマと対人関係の問題を抱えた事、学校の規格外という、世間で普通とされている社会生活を送るには相当ハンディな二重苦を背負い、人生というレースを一人タイヤを引いて後方を走る、超下層パーソナリティ(笑)。
拷問の様な精神的トラブルからの2度の復活!! 更なる幸福を求め、仕事の充実&結婚の幸福、両方を手に入れる事を目指します。
合わない会社に居続けたこと、無駄な異性の付き合い、不倫、心の闇から目をそむけたこと、25回のお見合いパーティー………自分の過去の様々の過ちを発表することで、同じような犠牲者を減らす。このブログはそんなことを目的に書いています。