40歳のクリスマスイブの過ごし方
クリスマスが近付くと、大抵の女性は、そわそわと落ち着きがなくなりますよね。電車に乗っていればクリスマスのイルミネーションの宣伝が目に付きますし~、はぁ~~、クリスマスイルミネーション、ステキな男性と(ステキじゃなければ駄目です~)腕を組んで歩いてみたいっと思うものですよねっ。
で私は、この40歳の記念すべきクリスマスイブをどの様に過ごすか? 考えてみましたー。
別に考えた訳じゃないけど、以前教会に通っていた事があったので、そこのクリスマスミサに参加する事にしましたー。もしかしたら以前教会に通っていた時のメンバーにも久しぶりに会えて雑談できるかもしれないと思ったのでーす。
以前の教会のクラスでもミサやクリスマス会はやっていて、楽しく暖かい気持ちになったので、今回も多分それなりにそういう気持ちになれるだろうと思って参加する事にしましたー。(ちなみに洗礼は受けていません)
カトリック教会のクリスマスミサ
で今回のクリスマスミサは、入れ替え制で驚くほどの人数でした。洗礼を受けた人、洗礼は受けていないけど教会に通う人(私がココに含まれる)、クリスマスを教会で過ごしてみたい人、カップル等など、これほどの人が教会でクリスマスミサに参加するんだと思いましたよ~。

ミサ自体は、1時間半位だったと思うけど、歌を歌ったり、聖体拝領をしたり。その後、軽食やお茶を飲むコミュニティの場がありました~。
40歳の年齢を感じた
今回のミサは、老若男女沢山の人が集まるという事で、もろに感じたのは~~、私は年を取ったなぁ~~という事でした~(笑)。
誘導のスタッフも大学生チックな子達だったし、聖歌隊は高校生だし、司会や儀式のメンバーも自分より若い感じの人達でした。自分より年が上というのは、学校の校長くらいでしょうか~~(笑)。。
40歳って労働者としての中間年齢だし、社会の構成メンバーの中間的年齢ですよね。だから世の中の半分以下は自分より年下な訳ですよね。なんかそんな自分の年齢を痛感した出来事でしたね。
実は余り心が満たされなかったミサ
以前教会に1年半くらい通っていた時は、意外に楽しかったんです。だから自分の中で、教会=楽しい所と思う様になりました。
でもね正直、クリスマスミサやその後のコミュニティで私が感じたのは、余り心が満たされなかったって事だったのでーす。勿論、ミサというものは、形であり儀式であるので楽しいというモノではないとは思うのです。
でも私が感じたのは、そこに自分がイイと思う指導者が居るかって事だったんだと思います。まぁカトリックのトップの指導者はローマ法王なんですが、、バックにローマ法王がいらっしゃるといわれればそうなんでしょうが、、でも直接コミュニケーション取れないと意味が無い訳ですよね。
指導者の人間性に人が集まる

とある本によると「指導者と支持者の心理は重要な点において類似している」のだそうです、当たり前ですよね。自分にとっての指導者とは、自分の中に既にあって、でもまだ実現不可能な面を実現している人と言う事が出来るでしょうね。
やはり私は、その指導者の考え方に共感して通っていた訳であって、その人が指揮する、講義、分かち合い、歌、パーティと、参加型のコミュニティがそこにあって、それらに意味があったんだなって、自覚は当然にしてたけど、今回改めて感じてしまいました。
そしてその指導者に自分が共感して集まっているのなら、そのコミュニティに集まる人達も、私と性格上重要な面で似通った価値観を持っていたのです。自覚はしていたけど忘れていましたー。
結婚はしたいけどなかなか難しい、ではその結婚って何故したいの? かと言えば心理的に満たされたいからかなーと私は思います。でも生涯シングル生きていく事も、この40歳という年齢は生涯独身を覚悟しなければならない年齢に来ているのですよね。
そんな時、自分の心を満たしてくれるコミュニティーって大事だなーって凄く思いますよね。そんな場所を持てれば1人の人生だって楽しく生きられますよね。でそういった人が集まるコミュニティには自分の価値観のベースと似通った人達が集まって居るから、友達候補が沢山出来るし、参加型の楽しいコミュニティを持つ事が出来るのではないでしょうか? そんな事を思いましたよ。
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